急に人と交換日記がしたくなった普通の月曜日。
会社に勤めていたとき、日曜日の夜から月曜日にかけて、ここは地獄の底かというほどのメンタリティだった。
でもその気持ちが、大切な人生の大半の月曜日を悪いものにさせることに、違和感が消えず、退職した。
フリーランスになってからは月曜日は、私にとって新しい世界の始まり、と言わんばかりの脳内の聡明ぶりである。自分にはこの働き方が合うようだ。

なぜ急に交換日記のことを思ったのだろう。
そもそも、大勢に向けて書かれる文章や絵よりも、たった一人のために書かれたものや、
大切な一人の人のために書かれた絵画などはどことなく独特な雰囲気を持っていて、
意志が乗り移ったような感じ。だから人の心を動かすのだと思う。
私はあまり万人に好かれるものを発信することが得意ではないし、ビビッとくるものも、
どちらかと言えば大勢が好むものではないものに惹かれることが多い。
それが制作活動をする上でデメリットになることもあるし、メリットになることもある。
今年の初めくらいにSNSのフォロワーの方に、私の絵に対して「言葉じゃなくて、気持ちで伝わるものが私の支えで、励みです」と言う言葉をもらったことがある。
半年以上たった今でも、この言葉を折々思い出す。
作品(もしくは私が作品について話すことについて)が何を言っているのか、全くわからないと言う人もいると思うけれど、同時にわかってもらえている人がいることに驚きと喜びで溢れた。
”何を”わかってもらえたのか、うまく言葉にできない。でもその、言葉にできないけれど、絵を見てハッとする感じが”良い”と思って気に入ってもらえたのだと思う。
私は、みる人にもっと頑張って欲しいと言う気持ちで絵を描いているわけではない。
けれども、「私の絵を見てもっと頑張ろうと思える」と言ってもらえた。
つまり、それが気持ちで伝わるもの、と言うことなのだろう。

この文章も、特に誰かに何かを感じてもらいたいから書いているわけでもない。
結果はどうなるか、私はコントロールすることができない。

SNSが流行り出してから、どうしても「大勢に向けて発信しなければ」と言う気持ちばかりになってしまうことがある。知ってもらうことから仕事に繋がること=つまり生きていけることは百も承知している。
けれども、発信することに関しては、実は大勢に向けてではなく、その中のたった一人に向けて何かお手紙を描くような気持ちになることが大事なのかも、と急に悟ったここ数年。
今は、個人にあてられたものがとても気になっている。

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しばらく漫画を読むことから遠ざかっていたけれども、夫に勧められて「ブルー・ピリオド」という漫画を読んだ。最初は「仕事があるから・・」と言って読むことを先延ばしにしていたけれど、夫に「ゆりこにとってこれを読むのは仕事みたいなものだ」というようなことを言われ、なんとなく読み始めた。
結果的に、寝る間も削り、今出ている巻を全部一気読みした。
簡単に言うと、不良っぽい男子高校生が、ある日美術部の先輩の絵を見て感動し、美大を目指すと言うストーリー。過去の自分と重なる部分もあり、新しい発見や思い出すこともあって、気になったページの内容をメモしたりもした。
中でも、5巻で桑名さんが「ほんとはなんだってやっていいはずなんだよね 自分の人生自分のものなんだから」
と言うシーンが個人的にズシンときた。
趣味なのか仕事にするのか、そんなことを考えるのは時に好奇心の妨げになると思う。
私も、やりたいと思ったことを躊躇せずにどんどんやっていきたいと思った。
今、何気ない気持ちで始めたとしても、何も始めないよりは、5年後くらいには絶対違っているはずだ。